2010年10月05日
武田信玄と上杉謙信の位牌が並ぶ。
武田信玄と上杉謙信の位牌が並ぶ。善光寺宝物館で見ることができる。
2010年08月15日
2010年08月08日
2010年05月27日
広島の原爆
当時、軍港だった舞鶴で、物資を運ぶのに困った
祖父は、「馬を一頭廻してもらう」陳情に、広島県
呉の大本営に出向いた。昭和20年8月5日夕刻、
やっと祖父が陳情する順番が来た。話しをじっくり
聞いてくれた大本営は「そちらの困った状況はよく
わかった。さぞかし大変だろう。だが、残念ながら、
そちらに廻せる馬が一頭も居ない。誠に申し訳無い
が、時局を考えてくれたまえ。」と、答えた。祖父の
願いは、叶わなかった。
しかし、祖父は諦めず、「一頭ぐらい、何とかなる
だろう」と翌日も陳情するため、一泊したその晩、
冷静に大本営とのやりとりを思い起こしたところ、
一旦、諦め、機会が有れば、いつかまた試みる
ことにした。
翌8月6日、朝、早くに舞鶴への帰路に着いた。
山中を歩いていると、朝8時過ぎ、閃光が走った。
その後、爆音が響き、きのこ雲が立ち昇って行った。
舞鶴に戻る途中「アメリカが新型爆弾を広島に落と
した」と知った祖父は、その時はまだ、日本にとって
永遠に、忘れられない、忘れてはいけない瞬間に
立ち会ったという実感は抱いていなかった。
祖父は、「馬を一頭廻してもらう」陳情に、広島県
呉の大本営に出向いた。昭和20年8月5日夕刻、
やっと祖父が陳情する順番が来た。話しをじっくり
聞いてくれた大本営は「そちらの困った状況はよく
わかった。さぞかし大変だろう。だが、残念ながら、
そちらに廻せる馬が一頭も居ない。誠に申し訳無い
が、時局を考えてくれたまえ。」と、答えた。祖父の
願いは、叶わなかった。
しかし、祖父は諦めず、「一頭ぐらい、何とかなる
だろう」と翌日も陳情するため、一泊したその晩、
冷静に大本営とのやりとりを思い起こしたところ、
一旦、諦め、機会が有れば、いつかまた試みる
ことにした。
翌8月6日、朝、早くに舞鶴への帰路に着いた。
山中を歩いていると、朝8時過ぎ、閃光が走った。
その後、爆音が響き、きのこ雲が立ち昇って行った。
舞鶴に戻る途中「アメリカが新型爆弾を広島に落と
した」と知った祖父は、その時はまだ、日本にとって
永遠に、忘れられない、忘れてはいけない瞬間に
立ち会ったという実感は抱いていなかった。
2010年05月26日
人材育成〜山本五十六
山本五十六
「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。」
戦艦長門に乗った祖父も、こうして育てられたのだろうか。人材
育成の要諦が、当時の海軍に有ったのは間違いない。祖父は、
幼い私の話をよく聞いてくれる人だった。
「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。」
戦艦長門に乗った祖父も、こうして育てられたのだろうか。人材
育成の要諦が、当時の海軍に有ったのは間違いない。祖父は、
幼い私の話をよく聞いてくれる人だった。


















